経済学者なら当然『道徳感情論』を読んでいるよね?

――『国富論』が『道徳感情論』の内容を踏まえているという事は、しばしば(恣意的に)無視される。

 色々有ってブログの方をだいぶ御無沙汰していたが、理由の一つは「読みたい本が多かったから」である。

 思う所が有って、数学と物理学と経済学の本を読み漁っている。

 その中に、図書館から借りて来た、アダム・スミスの『国富論』と『道徳感情論』が含まれている。

『国富論』の方は岩波文庫の4巻構成のもので、2013年の第16刷(初版第1刷は2000年)。1巻辺りのページ数は400ページ前後。
『道徳感情論』の方は日経BP社のもので、2014年の第1版第1刷。総ページ750ページ以上。

 どちらも結構なボリュームであるので、読了するまでにたぶん間を置きつつ何回か借り直す事になるだろう。

 なぜ今更『国富論』と『道徳感情論』を読んでいるかと言うと、今回の副題に書いた事柄がどの程度実態に合っているか確かめたかったというのが大きな理由だ。

いわく、「国富論を読んでいない経済学者はまずいないが、道徳感情論を読んだ経済学者もまずいない」
いわく、「後世の経済学者は国富論を持論の拠り所にする事は多々あっても、道徳感情論を拠り所にする事はまず無い」
いわく、「後世の経済学者の中で特に『御用学者』と呼ばれる者は、国富論が述べる『見えざる手』を自説に都合良い様に曲解する傾向が有る」

 先述の日経BP社から出版されている2014年の第1版第1刷の『道徳感情論』には、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センによる序文が寄せられている。

 センによる序文は注釈込みで35ページ有るが、半分読み進めたところで早くも、先述の3つのいわくが正しいであろうという確信が強くなってきた。

 センによる序文において、2008年のリーマンショックに端を発する金融危機を引き合いに出しつつ、
「多くの経済学者が、『道徳感情論』と『国富論』との間に主張の不一致が有ると誤解している」
「多くの経済学者が、国富論が述べる『見えざる手』を論拠にして「市場に規制は必要無い」と主張したがる」
「多くの経済学者は『道徳感情論』を読んでいないばかりか『国富論』ですら自説に都合良い数行しか読んでいない」
という旨の、穏やかな文体ながら痛烈な批判がなされている。

 『道徳感情論』と『国富論』の全体を読了するまで、これらの批判の是非について多くを語ろうとは思わないが、アジア初のノーベル経済学賞を『貧困が生じるメカニズム』の解明によって受賞したセンの批判は大きな説得力を持っている様に思われる。

 それをもっとよく確かめるために、『道徳感情論』と『国富論』を早く読了したいと思う。

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