Q. 「やさしい本」で本当に分かるか?

A. 分野によっては“No”。特に、数学を駆使する分野では。

 世の中には、「世界一やさしい」だの「サルでもわかる」だのといった触れ込みの解説本や教科書・参考書が山ほど有る。
 しかしながら、「その手の本を読んでもよく分からなかった」という人は多いのではなかろうか?
 私が思うに、「よく分からない」原因のうち主なものを2つ挙げると、次のようになると思う。

1.単純に読み手の読解力が足りない。
2.その手の本において、日常よく使う平易な言葉だけでは正確かつ簡潔な説明が困難あるいは不可能な事柄を、日常よく使う平易な言葉だけで無理矢理説明しようとしている事が、ままあるから。

 ここでは『1.』の場合には触れず、『2.』の場合について話す。

 難解な事柄を平易な言葉に噛み砕いて解説する事はしばしば行われ、
それが上手く行く分野は少なからず有る。
 しかしながら、常に上手く行くとは限らない。
 特に、数学を駆使する様な知識体系・技術体系の分野では。

 例えば、「微分の定義を日常よく使う平易な言葉だけで述べよ」と言われたら、
あなたはどうするだろうか?

 数式を使って良いなら、下記のように定義式を書けば説明しやすい。
$$f'(x)=\frac{\rm d}{\rm d \it x}f(x)=\lim_{\it{Δ}x \to \rm 0}\frac{f\rm ( \it x \hspace{2px} \rm +\itΔx \rm )-\it f \hspace{4px} \rm ( \it x \rm )}{\it{Δ}x}$$
$$f'(x)=\frac{\rm d}{\rm d \it x}f(x)$$
$$=\lim_{\it{Δ}x \to \rm 0}\frac{f\rm ( \it x \hspace{2px} \rm +\itΔx \rm )-\it f \hspace{4px} \rm ( \it x \rm )}{\it{Δ}x}$$

 しかし、「数式を使うな」と言われたら、
「ある変数を独立変数として持つ関数の変化量を、の変化量Δxで割るに当たって、Δxを限り無く小さくした時の極限値を求める操作」
とでも書かなければならない。
 もしも「独立変数」「関数」「極限値」といった用語の説明や独立変数と関数の表記法の説明までしなければいけないとしたら、説明文はさらに長ったらしくなる。

 これは、「日常よく使う平易な言葉だけを使う」事に固執するとかえって分かりづらくなってしまう一例と言えるだろう。
 ひらがなだけあるいはカタカナだけで日本語の文章を書こうとするとかえって分かりづらくなる事(※)と、似てなくもない。
(※特に、同音異義語を扱う時に困った事になる)

 それでもなお平易な言葉だけ使って無理矢理短い説明文にしようとすると、多くの情報が抜け落ちてしまう。
「微分とは割り算の一種のようなものである」といった具合に。
――全くの間違いではないが、この文では微分の定義を充分に伝えているとは言えない。

 やはり、数量・図形・論理の正誤が絡む事柄を簡潔かつ正確に記述するには、
数式は欠かせない。
 そして、数式を理解するには、数学を理解できなければいけない。
 さながら、日本語の熟達に漢字(表意文字)の理解が不可欠であるように。

数式はある種の表意文字である」とも言える。

 数学を理解し数式の意味を分からなければ充分な理解を望むべくもない分野は多い。
 ゲーム理論や現代確率論を取り入れた現代経済学、あるいは量子力学などは、
まさにそのような分野である。

 しかるに、「世界一やさしい」とか「サルでもわかる」とかいう触れ込みの現代経済学や量子力学の本には、数式が全く出て来なかったり、出て来ても不充分であったり場合が少なくない。
 その手の本の内容は「間違ってないけど、伝えるべき情報が抜け落ちてる」事がしばしばである。

 時には大いに誤解を招く記述であったり、完全に間違っていたりという場合すら有る。
 その手の誤解を招く記述や間違いがさらに誤解を拡大再生産する事態になると、もう目も当てられない。
 仮にあなたが「世界一やさしい」とか「サルでもわかる」とかいう触れ込みの本を熟読した後に腑に落ちない箇所が有ったとして、
その本が現代経済学だったり量子力学の本だったりするなら、
それはおそらく数式を交えて説明された方がかえって腑に落ちる箇所であると思われる。

 その時はためらわずに、数式およびその解説が少しなりとも載っている本を探すべきではないだろうか。

 数年前から、新聞あるいはニュースサイトの経済関連記事で
「AI」「ディープラーニング」「自動運転」
「暗号通貨」(あるいは「暗号資産」)「ブロックチェーン」
「量子コンピューター」といったキーワードを見ない日は無い。

そういったものを理解したいという需要が多い事の証左だと思う。
 今挙げたキーワードが指す事柄を深く理解したいのであれば、
いずれも、「数式を理解できないと話にならない」。
 古語を知らないと古典を深く理解できないのと同じ事だ。

「数式を使わない」と称する「見かけだけわかりやすそうな本」だけでは、
決して、あるレベル以上に理解する事はできない。

『数式が1つ載るたびに売上は半減する』というジンクスは
出版業界でまことしやかにささやかれているようだが、
出版業界も「見かけだけわかりやすそうな本」を乱造せずに、
「数式とその意味をできるだけわかりやすく解説」とかいう触れ込みで、数式の入った本をもっと売ってみてはどうかと思う。

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