時は金なり

――あなたの1時間には【少なくとも】285円以上の【原価】が有る

 今回の記事は、義務教育を受けた事がある人なら誰もが一度は聞いた事が有るであろう諺を、表題とした。
 この諺は、ベンジャミン・フランクリン(※)が書いた随筆に初めて現れ、その随筆は1748年出版の『アメリカの指導者達』(ジョージ・フィッシャー:著)に寄せられた物が初出であるらしい。
(※印刷業で成功した実業家であり、大統領にはならなかったもののアメリカ独立の立役者のうち1人となった政治家であり、落雷が電気現象である事を証明した科学者である、
ベンジャミン・フランクリンその人である)

 フランクリン当人が随筆を書いた当時に意図したこの諺の意味は、
「無駄に時間を過ごす事は、その時間を事業に費やして利益を得る機会を損失する事に等しい」
というものであったらしい。

 現代では、この諺は単に「時間はお金と同じぐらい貴重なもの」という意味であるとされている。

 しかし実際は、時間はお金よりも貴重である。
 なぜなら、時間はお金と同じ様なやり方で貯める事はできないし、失った時間を取り戻す科学技術も(少なくとも今までの所は)存在しない。

 それにも関わらず、あくせく働かなくても食べていける富裕層を除けば、大多数の人間は生存のために自らの時間を『労働時間』として切り売りせざるを得ない。

 あなたは、あなた自身の時間をあまりにも安売りしてはいないだろうか? 
 そもそも、あなたの時間には【少なくとも】どれくらいの価値が有るだろうか?

 あなたが生きている限り、あなたの時間が存在する。
 あなたの時間はあなたの生命維持を前提にしなければ存在しない。
 それも、「ただ生きている」状態ではなく、少なくとも現代日本において中程度の生活水準を一生涯維持できる状態でなければ、大多数の人間は納得しないだろう。

 そこで、暫定的に、
『現代日本において中程度の生活水準を一生涯維持できるお金』と
『現代日本の生涯賃金』と
『あなたの一生涯の時間』が等価である、と仮定しよう。

 日本人の平均寿命を約80年とする。
 『現代日本の生涯賃金』は性別・学歴・就業先の事業規模等によって大きく左右されるが、中央値を約2億円とする。
 これらの前提を元に計算すると、以下の通りとなる。

 80(年)=80×365.2422×24≒701,265(時間)
(※うるう年を考慮し、平均太陽年の日数の小数点以下5桁目を四捨五入して、1年の日数を換算)

 2億(円)÷701,265(時間)≒285(円/時間)

 ここで出て来た『285(円/時間)』という数字。
 これを単純に「あなたの時間の価値」と見なして良いだろうか?
 絶対に「No!」である。
【これはあなたの時間の『原価』である。】

 一生涯の時間を確保するのに2億円かかるとして、大多数の人間は自らが所有する時間の一部を『労働時間』として切り売りする事によって、お金を賄わなければならないのである。
 24時間365日を文字通りの不眠不休で働き続けられる人間なぞ存在しない。

 1日8時間労働・1年当たり労働日数250日・労働年数40年と想定するなら、
8万時間を切り売りして2億円を確保しなければならない。
 つまり、少なくとも1時間当たり2,500円で売らなければ、あなたは『現代日本において中程度の生活水準を』一生涯に渡って享受できない。

 ここまでの話を読んでなお、あなたは自らの時間を1時間当たり285円未満で売りたいだろうか?

「冗談じゃない!」

 誰もがこう叫ぶ事だろう。
 商品を原価以下で売るなんて、手の込んだ自殺でしかない。

 ところが、多くの人間が雇用環境に不安を覚える現代日本、自分の時間を原価の8~9倍以上の価格で売る事のできる人間はむしろ少ないはずだ。

 大多数の人間は自分の時間をせいぜい原価の3~4倍でしか売れていない、
つまり時給換算で855円~1,140円ぐらいの給与に甘んじている、
のではなかろうか?

 それでもなお、人件費削り大好きな資本家や経営者は法の抜け穴を衝き、
何かと口実を付けてあなたの時間を安く買い叩こうとする。
(各種労働法規スレスレの賃金・労働時間・雇用条件、等々で……)

 こう考えると尚更、
バブル期に流行った「24時間働けますか?」などというキャッチフレーズのCMは現代の視点で見れば狂気そのものであるし、
「24時間365日死ぬまで働け」などとほざいたワタミの渡邉美樹は『時間泥棒』と言うのも生ぬるい大罪人(時間強盗殺人犯)であるし、
人件費の上昇を嫌って筋金入りの反日国である中共や韓国に進出したあげく日本国内の産業空洞化と技術流出を招いた経団連は日本の『失われたn年』を長引かせたA級戦犯である、としか思えないのである。

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